塾式COSMO

先週までは真面目に受験体験について書いていたので、今日は思いっきり趣味性の高い話をします。

私の授業を受けたことがある方々にはそれなりにおなじみなのですが、私は幽霊・UFO・UMA(未確認生物)などなどオカルトが大好物です。今日はなぜそんなものが好きなのか、あるいはそれが好きとはどういうことなのか述べます。

私がオカルトを愛する理由は、そのことにより人生が豊かになるからです。

オカルトを愛するには高度な知識力・思考力・感性・ユーモアが必要です。なぜなら、大前提としてオカルトは非科学的でありフィクションであり、要は嘘っぱちだからです。

基本的にオカルト好きの人間はこのことを認めています。マジで信じている方もいるかもしれませんが、私はウソと知りつつ楽しむスタンスです。この、ウソと分かりつつ本気でものごとを楽しむというのはとても難しい営みなのです。

例えば、勉強やボランティアやスポーツやなんやらと、世間が、社会がすでにその価値を認めてくれるようなものは、わざわざ自分で「なぜそんなことをするのか」という理由を考える必要がありません。、疑問の余地なく「いいこと」なので、我々はわざわざ考えなくてもそれらをしているだけで、自分は有意義に時間を過ごしている、という自己承認を得ることが出来ます。

しかし、オカルトの道は険しいのです。

「UFO?あるわけないよ。」「幽霊?合成合成。」「ツチノコ?いないよそんなもの。」

このような厳しい意見、世間の目と戦いながら、それでも我々はあの好奇心をくすぐられるアダムスキー型の円盤に、戦慄の走る心霊写真に、遭遇したらどうしようと不安になるUMA達を愛さなければなりません。つまり自立した考え、人に与えられるのではなく自分自身の考えでそこに楽しみを見出さなければなりません。

さて。みなさんはオカルトの本をちゃんと本気で読んだことはありますか?テレビやインターネットで適当に手に入る情報だけで満足していませんか?この世には、なぜこんなものにここまで労力をかけられるのかと関心するほど練りに練られた虚構について語られた本があります。

例えば、戦後のオカルト事件を簡単に紹介するよ、それこそコンビニで売られているレベルの本ですら、日本史でいう「戦後史」のサブテキストにしたいと一瞬血迷うほどきちんと事実としての歴史が載せられており、時系列順にオカルト事件が紹介されているのです。その内容も、たとえば中世の南北朝時代に関する知識が必要だったり、深く味わうためには教養としての歴史の知識が必要です。つまり教養がないとオカルトは楽しめず、教養があればオカルトは面白いのです。

正しい歴史にフィクションをはさみこみ面白がる。くだらない遊びのようですが、おふざけは本気でやらなければ面白くありません。歴史を、地理を、生物学を、文学を、哲学を、色々なことを知っていればこそオカルトは冗談としての輝きを増して我々の目にうつるのです。(私がそれらすべて分かるとは言っていません)

さらに、ただ触れて、見て、読んで、騒ぐだけではだめなのです。オカルトは自分でクリエイト出来てこそ本物です。私は怪談を話す人間、UFO研究家、心霊能力者などをみな尊敬しています。なぜなら、虚構といえど一つの世界を作り上げ、それを我々に体験させ引き込むほどの物語構築力、優れたセンスがあるからです。

ためしに怪談話の一つでもでっちあげてみてください。それがいかに難しいか、自分の能力のなさを痛感します。(私は毎日のようにしています。)

どうでしょうか。オカルトの道の険しさ、奥深さ、崇高さを少しは理解していただけたでしょうか?勉強が出来なければマンガもアニメも作れない、みたいな話と一緒ですが、遊びの世界はくだらない、本質的に無駄なものだからこそ優れた知性がそこにはあふれているのです。

くだらないものは愛するしかない、という名言があります。今みなさんがやっている勉強は、ある意味で疑問の余地なく「重要なもの」です。だから何も考えずとも勉強をし、良い結果を出せば評価されます。

しかし、世界はそれだけで許してくれません。与えられたものだけこなせばいい、そんあ甘くありません。自分でものごとの価値を見出しましょう。そのためにはものごとをたくさん知らなければならないので、ぜひ勉強しましょう。世界には知るべきものがたくさんあり、それを知ることで自分にとって価値のあるものを発見できるのです。

以上、これが、私がオカルトから学んだ大事なことです。