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本当の気遣いとは・・・佐藤

今日は二十四節気の一つ「立春」です。暦の上では春となり、次第に気温も高くなってくる時期ではあるのですが、朝晩は容赦なく冷え込むのは相変わらず勘弁してほしいと思っている今日この頃です。

 

それはいいとして、最近「気遣い」に関して個人的にいろいろと考えることが増えてきました。

皆さんも日常生活において様々な「気遣い」と実践していることと思います。例えば、エレベーターにほかの人が乗りそうなときは扉を開けたままにする、落とし物に気が付いたらすぐに拾う、あるいはあまり意識せず行っているかもしれませんが、相手の歩くスピードに合わせて歩幅を調節する、などでしょうか。

当然ながら、すべてが気遣いであることに他ならないわけですが、私が最も理想的だと思っている気遣いは前述したどれでもありません。(まあそもそも気遣いに該当する行為自体が星の数ほどあるので不毛な陳述であるのは事実なのですが…)

 

私が思う究極の気遣い…。それは「自分の価値観を相手に押し付けない」ということに尽きると思います。

 

日本人の国民性は、よく言えば「集団を重んじる」「チームワークがよい」といわれますが、これは裏を返せば「同調圧力や排他性が比較的強い」といえるかもしれません。このような「同調圧力」や「排他性」は、時に他者に対する不寛容という形で行為に現れることもあります。そして、その不寛容さの原因となる要素がほかでもない「自分の価値観を相手に押し付け、それに同調しないものを、いわゆる敵とみなし、排斥しようとすること」だと思います。

 

一方でそれは同時に、すべての根幹にある要素の改善、すなわち、「自分の価値観を相手に押し付けない」という、たった一つの改善だけで解決することであるといえるのではないでしょうか。日常生活における相手の決断や選択を否定しない、仮にそれらの決断や選択に納得いかなければ「なぜこの人はこのような決断を下したのか」を少し考えてみる、あるいは思い切って、実際に決断の根拠を聞いてみてもいいでしょう。こういった行動だけで大分意識は変わると思います。

 

私は、他者に不寛容であるよりも他者に寛容であるほうが、自分も他者も生きやすい世の中になると思っています。日本人が持っている集団を重んじる国民性は素晴らしいものではありますが、日本人はもう少し自分本位に生きていいと思っています。そして、そのために最も大切となる気遣いこそ、「自分の価値観を相手に押し付けない」という「寛容さ」だと思うのです。

 

 

生徒の皆さん、人生はまだまだ長いです。もっと楽しく、もっと大胆に、人生を謳歌してほしいと思っています。

 

Y. Sato